【深川①039】深川石島町

町番号:深川①039

町名:深川石島町

読み方:ふかがわいしじまちょう Fukagawa-Ishijimachō

区分:町丁

起立:1707(宝永4)年

廃止:存続 「石島」として

冠称:1911(明治44)年5月1日から1947(昭和22)年3月14日までを除く期間と1968(昭和43)年11月30日まで「深川」

現町名:江東区石島、扇橋一・二丁目、千田、千石一丁目

概要:築地町24ヶ町の1つ。切絵図では小名木川の南の深川末広町を挟んで2ヶ所あった。町内は3ヶ所に分かれているが、1つは一橋家に囲い込まれて記されていない。嘗ては深川十万坪続の低湿な土地で、1707(宝永4)年、大和屋藤助、さらに1711(正徳元)年には築地町名主平野甚四郎に払い下げられ、町屋が起立された。両名は、当地が江戸の町と同様に家作を行えるよう嘆願し、町名も一同で願い出たとされている。町名の由来は不詳であるが、町の成立当初は付近一帯が低湿地であったことを反映した地名であろうと推定されている。1713(正徳3)年、町奉行支配となる(備考)。1813(文化10)年、町内の「横道三ヶ所有来候処、年久敷往来も無之自然と葭茅茂り不用心」のため、町内の地主が相談し、町内の横道3ヶ所を深川末広町と当町に編入し、町屋とした。町の西の川通りを「亥の堀」と俗称した(備考)。化政期(1804~1830年)の家数14軒(町方書上)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数29・人口125(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1879(明治12)年、深川末広町を編入。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。1891(明治24)年、旧永代新田字水野耕地と旧海辺新田字中道耕地を編入し、町域を東に拡げる。水利の便がよいことから、養魚所、木工場等が置かれた(画報)。

1936(昭和11)年、帝都復興計画の一環により、扇橋一・二丁目、千田町、千石一丁目に一部を割譲。旧来の石島町は石島と千石一丁目に編入となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都深川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都江東区に所属。

1968(昭和43)年12月1日、住居表示の実施により、一部を千石一丁目に移し、現行の石島となる。

※『Wikipedia』には後身が「扇橋1、千田町、千石1」とあるが間違い。

撮影場所:深川石島町

撮影地:江東区千石一丁目4番16号(やきとり大吉千石店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。