【深川①041】深川洲崎町

町番号:深川①041

町名:深川洲崎町

読み方:ふかがわすざきちょう Fukagawa-Suzakichō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1931(昭和6)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」

現町名:江東区木場六丁目

概要:もとは「洲崎原」といわれた。洲崎神社の周囲だけの狭小な町。1869(明治2)年、深川吉祥門前町深川洲崎門前町に改称。初めは郡部に属していた。

洲崎弁天社(維新後は洲崎神社)は、元禄時代(1688~1704年)に深津八郎右衛門正隆の創建と伝えられ、護持院隆光の尽力もあったという(砂子)。また、時の将軍徳川綱吉の母の守本尊であり、また水にまつわる神仏でもある弁才天が祀られ、海難除けの社として地元漁民の信仰を集めた。歌川広重の浮世絵にも往事の姿が描かれている。当時は海岸から離れた小島に建てられており、人々から「浮き弁天」の名で呼ばれていたが、その後、埋め立てが進み、現在では往事の景観を偲ぶ術はない。大横川南支川に架かる弁天橋は大横川の左岸に沿うように架かっていたが、後にやや南に架け替えられた。東隣の洲崎弁天町との混同は注意。

洲崎神社の東対面には洲崎川が流れており、丸で外界との境目として存在していたように洲崎弁天町を取り囲んでいた。新吉原におけるお歯黒溝と同じような役割か。なお、洲崎遊郭は1888(明治21)年に根津から移転して来た遊郭で、1958(昭和33)年の売春防止法成立まで吉原と並ぶ都内の代表的な廓として活況を呈し、特に戦後は「洲崎パラダイス」の名で遊客に親しまれた歓楽街だった。なお、洲崎川は1982(昭和57)年に暗渠化され、洲崎川緑道公園として整備された。

時期不明だが、「深川洲崎町」と改称。1872(明治5)年の戸数2・人口7(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。

1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、平久町一丁目に編入となり消滅。現行の木場六丁目のうち。

撮影場所:深川洲崎町

撮影地:江東区木場六丁目13番13号(洲崎神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:寺島村大字寺島字前沼