【深川①043】深川佃町
町番号:深川①043
町名:深川佃町
読み方:ふかがわつくだちょう Fukagawa-Tsukudachō
区分:町丁
起立:1719(享保4)年
廃止:1931(昭和6)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」
現町名:江東区牡丹二・三丁目
概要:切絵図には富岡八幡宮の南で、越後高田藩榊原式部大輔下屋敷、阿波徳島藩蜂須賀阿波守下屋敷に隣接している。天正年間(1573~1592年)以来、白魚御用等の諸役に加え、享保年間(1716~1735年)から御成先押網御用を課せられた佃島島民は生活の困窮を訴え、助成地を願い出て、1719(享保4)年、萩原源八郎の上地跡を助成地として借り受け、町屋建設が許され、深川佃町として起立された。化政期(1804~1830年)の家数89軒(町方書上)。
町内には住吉社があり、当町は嘗て海際の町であったので「海」と俗称した(備考)。また深川岡場所があり、ここの遊女を「あひる」と称した(花散る里)。由来は、佃島の網干し場が近いため、網干(あみひる)の「み」落として「あひる」となった。『江戸地名俚俗字引』には「俗に洗濯塲と云」とある。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数25・人口87(府志料)。1873(明治6)年、助成地を廃する。1874(明治7)年、改めて町地とする。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、牡丹町二・三丁目に編入となり消滅。現行の牡丹二・三丁目。
※『角川日本地名大辞典』には「昭和6年牡丹町3丁目となる。現行の牡丹3丁目のうち」とあるが間違い。
撮影場所:深川佃町
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