【深川①065】深川富岡門前町
町番号:深川①065
町名:深川富岡門前町
読み方:ふかがわとみおかもんぜんちょう Fukagawa-Tomioka-Monzenchō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1931(昭和6)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」
現町名:江東区富岡一丁目
概要:前身は深川永代寺門前町。富岡八幡宮の南に位置する。浜十三町の1つ。嘗ては海辺の葭の生い茂っていた干潟。1627(寛永4)年、富岡八幡宮の別当真言宗大栄山永代寺が拝領。1653(承応2)年、門前町屋を起立。1682(天和2)年の火災で本所・深川が焼失したため家作が禁じられたが、1697(元禄10)年に町人の願い出により家作が許され、町人の所有地となった。永代寺へは地子金1年95両2分と銀5匁2分1厘・夫銀10両1分と銀14匁5分2厘を納めた。1745(延享2)年、町奉行支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数547軒(町方書上)。
町内一円を「八幡町」と俗称。他に「自身番横丁」、「神橋横丁」、「金子横丁」、「摩利支天横丁」、「稲荷横丁」、料理屋蔦屋があったことから「蔦屋横丁」、12軒の料理屋があったので「十二軒」の俗称があった。
富岡八幡宮の一の鳥居から東側の深川入船町へ向かう町内を横断する通りは、1652(慶安5)年に流鏑馬を行うため馬場が置かれたことから「馬場通り」と俗称した(備考)。八幡境内から町内へかけて毎年12月14・15日に注連飾等の正月用品の市が立った。富岡八幡宮の門前の飲食店の賑わいは「江戸名所」に「両側茶肆酒肉店(りようりや)軒を並べて、常に絃歌の声絶えず、殊に社頭には二軒茶屋と称する貨食(りようり)屋などありて、遊客絶えず」と記されている。
前身の深川永代寺門前町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に「深川富岡門前町」と改称。1872(明治5)年、富岡八幡社地及び吉祥院を合併。同年の戸数367・人口1,506(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。明治30年代の町内には待合喜楽、寄席長島亭の他、大野屋蒲鉾店、成田山揚まんじゅう井筒屋本店等、多くの商店が並び、富岡公園前の繁華街の一画を形成(画報)。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、富岡町一丁目に編入となり消滅。現行の富岡一丁目のうち。
※『角川日本地名大辞典』には「現行の富岡1~2丁目のうち」とあるが間違い。
撮影場所:深川富岡門前町
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