【深川①029】深川入船町

町番号:深川①029

町名:深川入船町

読み方:ふかがわいりふねちょう Fukagawa-Irifunechō

区分:町丁

起立:1703(元禄16)年

廃止:1931(昭和6)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「深川」

現町名:江東区木場二丁目

概要:築地町24ヶ町の1つ。1701(元禄14)年~1706(宝永3)年に朽木屋甚左衛門、和泉屋半四郎、津国屋兵助、鳥居屋茂兵衛、山本屋勘兵衛、尾張屋伝兵衛の6人に払い下げられ、町屋を起立。町名は茅、葭が生い茂り、通船が不便なため、船の出入りの多くなることを祈って、1703(元禄16)年に付けられた(備考)。1713(正徳3)年、町奉行支配となる。山本屋勘兵衛に払い下げられた土地は1741(寛保元)年、岡場所の件で取り上げられ、1744(寛保4)年に幕府御小人方の拝領町屋敷となった。南部にあった冬木屋・上田屋の材木置場は1791(寛政3)年の高波で大きな被害を受け、以後は明地となった。化政期(1804~1830年)の家数54軒(町方書上)。深川木場の町々の1つで「下木場」と俗称した。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、西南の一画は深川平富町二丁目(現在の牡丹三丁目)に編入。1872(明治5)年、隣接の細川若狭守等の武家地を合併。同年の戸数29・人口100(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府深川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市深川区に所属。

1932(昭和7)年、帝都復興計画の一環により、木場一丁目に編入となり消滅。現行の木場二丁目のうち。

撮影場所:深川入船町

撮影地:江東区木場二丁目8番7号(サンプラハ木場 古ぢどり屋木場店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。