【南豊島】東大久保町

町名:東大久保町

読み方:ひがしおおくぼちょう Higashi-Ōkubochō

区分:字→町丁→字→町丁

起立:1874(明治7)年3月8日

廃止:1978(昭和53)年6月30日 「東大久保」として

冠称:なし

現町名:新宿区新宿五・六丁目

概要:江戸期に表番衆町の北側にあって、「裏番衆町」と称した地が、明治初年に武蔵知県事管轄地に所属となる。明治2年2月9日(1869年3月21日)、品川県に所属。同年、上地となる。明治4年12月5日(1872年1月14日)、東京府豊島郡に所属。

1874(明治7)年3月8日、東京府豊島郡東大久保村の一部が東大久保町として分離。『東亰圖 : 新撰實測』にある。

1878(明治11)年11月2日、豊島郡のうち12町25村の区域をもって東京府南豊島郡が発足するが、当町は分離独立したので組み入れられず。 ただし、1879(明治12)年4月22日には再び東大久保村に編入され、東京府南豊島郡東大久保村大字東大久保字東大久保町となる。

1889(明治22)年5月1日、東大久保村、西大久保村及び大久保百人町が合併し、大久保村が発足。東京府南豊島郡大久保村大字東大久保字東大久保町となる。1896(明治29)年4月1日、南豊島郡及び東多摩郡が合併し、豊多摩郡が発足。東京府豊多摩郡大久保村大字東大久保字東大久保町となる。

1912(大正元)年12月1日、大久保村が町制施行し、大久保町発足。東京府豊多摩郡大久保町大字東大久保字東大久保町となる。なお、当地の番地は399~488番地。

1932(昭和7)年10月1日、東京市淀橋区発足。字前田圃と合併し、東京府東京市淀橋区東大久保一丁目に編入となる。ちなみに東大久保は、字上ケ地、字砂利場、字天神前、字高場が合併し二丁目を、字新田裏、字角筈裏が合併し三丁目を形成。1943(昭和18)年7月1日、東京都淀橋区東大久保一丁目となる。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区東大久保一丁目となる。

1978(昭和53)年7月1日、住居表示の実施により、新宿五・六丁目に編入となり消滅。

撮影場所:東大久保町

撮影地:新宿区新宿六丁目1番1号(東京医科大学)

新屋敷六軒甼 角筈五十人町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。