【北豊島】南千住原宿町

町名:南千住原宿町

読み方:みなみせんじゅはらじゅくちょう Minami-Senju-Harajukuchō

区分:俗称

起立:1870(明治3)年

廃止:1881(明治14)年

冠称:「南千住」

現町名:荒川区南千住五、七丁目

概要:下谷三之輪町の飛地だったが、1870(明治3)年に下谷三之輪町下谷原宿町と改称したので下谷原宿町の飛地となる。『新撰區分東亰明細圖』(1876(明治9)年)にはかなり大きめに「南千住原宿町」とあるが、「南千住原宿町」とは当地の俗称だったのではないかと考えられる。

「原宿」の由来は不明だが、現在も隅田川千住大橋南詰東側のこの界隈には簡易宿が纏まって数軒営業しており、「千住宿南組」と呼ばれた名残と見てもいいかも知れない。

『東京市及接続郡部地籍地図. 下卷』の「南千住町大字千住南字南」を見ると、現在の南千住交差点付近には「原宿町飛地」が2箇所存在しているが、『新撰區分東亰明細圖』に「南千住原宿町」とある所とはややずれている。台東区の『旧町名由来案内 旧三ノ輪町』には「1745(延亨2)年、隅田川の宿場として形成した三ノ輪村原宿が「原宿町」として独立した」とあるがもしかすると当地のことかも知れない。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1870(明治3)年、下谷三ノ輪町から「下谷原宿町」に改称。当飛地も「下谷原宿町飛地」となったが、前述のとおり、「南千住原宿町」と俗称された可能性がある。1881(明治14)年、下谷三ノ輪町が復称となると、当地も公式には「下谷三ノ輪町飛地」に復称となり、その際、自然に消滅したと考えるのが普通かも知れない。

なおこの地域は、1889(明治22)年4月1日に東京府豊島郡南千住町に編入され、大字千住南字南となる。そして1932(昭和7)年10月1日には、東京府東京市荒川区南千住町五、八丁目となった。

撮影場所:南千住原宿町

撮影地:荒川区南千住七丁目17番10号(秀栄荘)

千住町組中村町 下谷三之輪町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。