【北豊島】下谷三之輪町

町名:下谷三之輪町

読み方:したやみのわまち Shitaya-Minowamachi

区分:町丁

起立:1745(延享2)年

廃止:1870(明治3)年

復活:1881(明治14)年

廃止:1889(明治22)年3月31日

冠称:「下谷」

現町名:荒川区南千住五、七丁目

概要:『大江戸今昔めぐり』には日慶寺の北西辺りとコツ通りを挟んでやや南西に「三之輪町飛地東叡山領」とある。前者が、『新撰區分東亰明細圖』(1876(明治9)年)においてかなり大きめに「南千住原宿町」とある箇所ではないかと見る。詳細は南千住原宿町下谷三ノ輪町(下谷①)を参照のこと。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1870(明治3)年、「下谷原宿町」と改称し消滅。後身の下谷原宿町はその後、近隣の寺院を合併。

1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1881(明治14)年、下谷原宿町は「下谷三ノ輪町」と復称、当然当地も「下谷三ノ輪町飛地」となる。

1889(明治22)年4月1日、当地は千住南組の大部分、地方橋場町の大部分、三ノ輪村の大部分及び千束村の一部、三河島村の一部と下谷区通新町と合併し、東京府北豊島郡南千住町大字千住南字南となり消滅。

撮影場所:下谷三之輪町

撮影地:荒川区南千住七丁目17番10号(秀栄荘)

南千住原宿町 下谷通新町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。