【日本橋②】馬喰町三丁目裏馬場
町名:馬喰町三丁目裏馬場
読み方:ばくろちょうさんちょうめうらばば Bakurochō-Sanchōme-Ura-Baba
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:なし
後身:馬喰町三丁目
現町名:日本橋馬喰町一丁目
概要:馬喰町の名は、徳川家康が関ヶ原出陣に必要な数百頭の軍馬を管理するために、「馬喰(馬工郎=ばくろう)」と呼ばれる馬方を住まわせたことに由来する。その後も隣町の大伝馬町・小伝馬町に幕府の伝馬役を勤めた大勢の馬喰が住んでいた。 もともとは、大規模な馬場があったと考えられるが、明暦の大火後に縮小され、幕末期には馬場の名を残すだけの広場になっていたようだ。 江戸名所図会の馬喰町馬場を見ても、馬場の一角に火の見櫓があることが判り、火除け地の意味合いもあったのだろう。 馬場の東南側の通りの中ほどに、紫屋染物店があった。
また、馬喰町には、町奉行管轄外である関八州の幕府直轄領の民事を司る関東郡代屋敷があった。また、隣の大伝馬町は江戸有数の問屋街であった。そのため近郊から訴訟のために出てきた者や、問屋へ売り込みのためにやってきた商人を泊める宿が連なり、大変賑やかな一角であったらしい。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、馬喰町三丁目に編入となり消滅。現行の日本橋馬喰町一丁目。
撮影場所:馬喰町三丁目裏馬場
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