【赤坂②】赤坂氷川門前町
町名:赤坂氷川門前町
読み方:あかさかひかわもんぜんちょう Akasaka-Hikawa-Monzenchō
区分:町丁
起立:1729(享保14)年9月
廃止:1869(明治2)年
冠称:「赤坂」
後身:赤坂氷川町
現町名:港区赤坂六丁目
概要:『今井谷六本木赤坂繪圖』では町名に「町」が付いているが、『角川日本地名大辞典』では付いていない。氷川神社東北に位置し、道を隔てて氷川社僧屋敷に接す。1729(享保14)年9月、赤坂今井台に氷川明神宮地を拝領し、同時に氷川門前として表通りと内門前2ヶ所、計3ヶ所に起立。1806(文化3)年、町内裏通りに川合稲荷が建立された(備考)。1827(文政10)年の総家数は23軒、うち家持1・店借22(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、赤坂氷川社僧屋敷、赤坂一ツ木町飛地と合併し赤坂氷川町に編入となり消滅。現行の赤坂六丁目のうち。
撮影場所:赤坂氷川門前町
参考:赤坂氷川社僧屋敷(赤坂氷川社家町家)
概要:江戸期~1869(明治2)年の町名。氷川神社の東北道を隔てて赤坂氷川門前(赤坂氷川門前町)と接す。1737(元文2)年、氷川社僧5人が氷川社北側の明地に町屋起立を願い出て、1755(宝暦5)年に「拾ケ年町屋家作」を許され成立(備考)。町内北側に位置する赤坂新町四丁目に至る転坂は登り10間余・幅9尺、転ぶ者が多かったため称された坂名という(備考)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、赤坂氷川門前(赤坂氷川門前町)・赤坂一ツ木町飛地を併せ、赤坂氷川町に編入となり消滅。現行の赤坂六丁目の一部。
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