【赤坂②】青山五十人町
町名:青山五十人町
読み方:あおやまごじゅうにんまち Aoyama-Gojūnimmachi
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「青山」
後身:青山相生町
現町名:港区北青山二丁目東南部で1~3番の辺り、南青山二丁目5番東南角
概要:作事方定普請同心の大縄拝領町屋敷で、家康の関東入国以来お茶の水台と湯島天神前に町屋敷を拝領していたが、1683(天和3)年に幕府用地に召し上げられ、青山和泉守の上げ屋敷のうちに代地を与えられた。拝領の同心が50人であったため、「青山五十人町」と唱えた。1827(文政10)年の総家数96軒、家持18・地借25・店借53(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、やや離れた地にある青山炉路町とともに、青山相生町に編入となり消滅(町名沿革表)。現行の北青山二丁目東南部で1~3番の辺り。南青山二丁目5番東南角にも飛地があった。
撮影場所:青山五十人町
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