【牛込②】市ヶ谷上寺町
町名:市ヶ谷上寺町
読み方:いちがやかみてらまち Ichigaya-Kami-Teramachi
区分:町丁
起立:1791(寛政3)年頃
廃止:1869(明治2)年
冠称:「市ヶ谷」
現町名:新宿区左内町、市谷長延寺町
概要:寛永(1624~1645年)~承応(1652~1654年)年間に起立した長延寺・宗泰院・長龍寺の3ヶ寺の門前町が1668(寛文8)年に類焼。1710(宝永7)年、町屋は再興され、1711(宝永8)年に町奉行支配となる。3門前を併せて当初は「佐内坂上寺町」と称したが、1791(寛政3)年の頃より「市ヶ谷上寺町」と称するようになった(備考)。化政期(1804~1830年)の家数62軒(町方書上)。
前身が市ヶ谷長延寺門前であった地域も「市ヶ谷上寺町」と俗称した(備考)。市ヶ谷長延寺門前は江戸期から1869(明治2)年まで続いた。長延寺は「万昌山」と号し、曹洞宗上州室田長年寺の末寺(寺社書上)。1636(寛永13)年頃より家作があったが、許可された年代は不明(備考)。化政期(1804~1830年)の家数65軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、一部を市ヶ谷長延寺町に編入。1872(明治5)年、残部が「市ヶ谷佐内坂町」に編入となり消滅。
※『江戸まちづくし』には「川田くぼつゞき」とあるが、牛込川田ヶ久保町の当たりからの「つゞき」というには少し遠すぎる。
撮影場所:市ヶ谷上寺町
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