【牛込②】四ツ谷久能町
町名:四ツ谷久能町
読み方:よつやくのうちょう Yotsuya-Kunōchō
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:不明
冠称:「四ツ谷」(四谷ではない)
現町名:新宿区富久町
概要:後の市ヶ谷冨久町の一部の古名か。道の両側は武家屋敷が並んでいた。靖国通りの富久町西交差点から西。真っ直ぐ行くと表番衆町(裏番衆町は医科大通りの南北)。
1872(明治5)年7月、市ヶ谷冨久町が周辺の寺地や武家地を合併して町域を確定させたが、資料にこの町の名前がないところを見ると、四ツ谷久能町は町人の存在しない武家地の俗称だったということになる(『江戸明治東京重ね地図』では自証院方の「久能町」は灰色塗りとなっている)。なお、『大江戸今昔めぐり』では自証院の西と中沢左京の東の道、そして法善寺の南の同心大縄地に「久能町」とある。
撮影場所:四ツ谷久能町
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