【小石川②】高田四ツ家下町
町名:高田四ツ家下町
読み方:たかだよつやしもちょう Takada-Yotsuyashimochō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「高田」
後身:高田老松町
現町名:文京区関口三丁目
概要:「高田下四ツ家町(高田四ツ家下モ町)」ともいわれたらしい。豊島郡野方領のうち。高田四ツ家町の一部が1702(元禄15年)に芳心院領となり、1745(延享2)年から町奉行支配となる(備考)。化政期(1804~1830年)の家数3軒(町方書上)。
『雜司ケ谷音羽繪圖 : 嘉永新鐫』では、目白通りの目白台三丁目交差点の文京区関口三丁目18番に「高田四家下町芳心院領」と、『大江戸今昔めぐり』では豊島区立雑司が谷二丁目四つ家児童遊園のところに「高田四家下町芳心院領」とある。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、高田老松町に編入となり消滅。
豊島区立雑司が谷二丁目四つ家児童遊園のところは、高田老松町の飛地であったが、1889(明治22)年5月1日、東京府北豊島郡高田村大字高田老松となる。1920(大正9)年4月3日からは東京府北豊島郡高田町大字高田老松、1932(昭和7)年10月1日からは東京都豊島区高田本町一丁目となる。
なお、文京区が設置する「旧町名案内」では「四ツ家」を「四ツ谷」と表記しているのが、公称は「家」であった。
撮影場所:高田四ツ家下町
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