【南豊島】千駄ヶ谷瑞円寺門前町
町名:千駄ヶ谷瑞円寺門前町
読み方:せんだがやずいえんじもんぜんちょう Sendagaya-Zuienji-Monzenchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年3月15日
冠称:「千駄ヶ谷」
後身:千駄ヶ谷八幡町
現町名:渋谷区千駄ヶ谷二丁目
概要:公称は千駄ヶ谷瑞円寺門前か。『江戸切繪圖 : 俚俗 : 千駄ケ谷辺』には「瑞円寺門前町」とある。曹洞宗相模高座郡遠藤村宝泉寺末の高雲山瑞円寺の門前町で、瑞円寺は1649(慶安2)年に将軍家光がこの地を訪れた際、開山天宝に命じて創建されたと伝える。1702(元禄15)年、町奉行支配となる。西方に飛地があった(備考)。文政年間(1818~1831年)頃の家数は29軒(町方書上)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年3月16日、千駄ヶ谷八幡町に編入となり消滅。
※『角川日本地名大辞典』には「明治5年千駄ヶ谷2丁目の一部となる」とあるが間違い。
撮影場所:千駄ヶ谷瑞円寺門前町
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