【本所②】南本所元瓦町

町名:南本所元瓦町

読み方:みなみほんじょもとかわらちょう Minami-Honjo-Moto-Kawarachō

区分:町丁

起立:1693(元禄6)年

廃止:1869(明治2)年

冠称:「南本所」

後身:南本所東町若しくは小梅東町

現町名:墨田区向島一丁目、押上一・二丁目、業平一丁目

概要:南本所村の者が瓦製造をしていた石原近辺が武家地が増したため源森川北岸の当地に移転した。寛文年間(1661~1673年)に町並家作の許可を得て、南本所瓦町としたが、1693(元禄6)年に町地の一部が水戸徳川屋敷用地となり、4人が深川北松代町東方の代地に移転し、「南本所瓦町」と称したので、源森川筋に残った者が別に「南本所元瓦町」と称した。文政年中(1818~1831年)には瓦職の者は殆ど居住していなかった。1828(文政11)年の家数27軒(町方書上)。

常泉寺の東にある町屋は曳舟川に向かい、道を1本挟んで南北にある。『北本所大川ヨリ横川辺右石原北割下水迄 : 天保一一年八月ノ形』では、北側は小梅瓦町、青柳武三郎屋敷、南本所元瓦町、小梅瓦町、南側は小梅瓦町、野本八左衛門屋敷、南本所元瓦町、小梅瓦町となっている。なお、『本所繪圖 : 嘉永新鐫』では、北側は酒井久三郎地、小梅瓦町、南側は小梅瓦町となっている。また、『大江戸今昔めぐり』では、北側は小梅瓦町、南側は小梅南瓦町となっている。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年に「南本所東町」と改称して消滅。現行の向島一丁目、押上一・二丁目、業平一丁目のうち。

撮影場所:南本所元瓦町

撮影地:墨田区向島一丁目24番13号(牧内ビル)

小梅東町 南本所瓦町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。