【麹町 河岸】道三河岸

河岸名:道三河岸

読み方:どうさんがし Dōsan-gashi

区分:河岸

成立:1590(天正18)年

廃止:1872(明治5)年

現町名:千代田区大手町一・二丁目の南端、丸の内一丁目の北端

概要:江戸で最初に開鑿された入堀として有名。『江戸切繪圖 : 俚俗 : 西丸下・大名小路』に「●道三河岸」とある。「内河岸」ともいった。

道三堀は1590(天正18)年、徳川家康の命により、江戸城への物資運搬のために開鑿された入堀で、平川(現・日本橋川)の河口・呉服橋門(現・呉服橋交差点)から和田倉門橋までの約1kmを結んだ(現・永代通りの呉服橋交差点辺りから西へ向かい、大名小路にぶつかる現・大手町交差点から斜めに「辰之口」と呼ばれる和田倉門前を目指していた)。

堀名の由来は、道三屋敷(幕府侍医の曲直瀬家で2代目にあたる道三の屋敷)が南岸にあったため。『府志料』には「昔医員今大路道三の邸ありしより名づけたり」とある。

この堀の南北に江戸最初の4ヶ町である舟町柳町材木町四日市町が形成され、「道三河岸」は各町の総称としてもそう呼ばれた。

『御府内備考』には「龍の口入堀の川ぎしをいへり。今大路道三の屋布あればなり。慶長(1596~1615年)の比は柳町といへり。傾城町なり。天正年中京都萬里小路柳の馬場に、原三郎右衛門といふもの傾城町を取建、柳町と名づく。此所もかの京都の遊女町の名をかりて柳町と名を付しとなり(江戸志)」とある。

1872(明治5)年、銭瓶町道三町永楽町二丁目の一部となり、河岸名は消滅。1909(明治42)年には遂に道三堀は埋め立てられてしまい、現在は見る影もない。

撮影場所:道三河岸

撮影地:千代田区丸の内一丁目4番1号(丸の内永楽ビルディング)

内河岸

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