【神田②】神田久右衛門町蔵地裏町
町名:神田久右衛門町蔵地裏町
読み方:かんだきゅうえもんちょうくらちうらまち Kanda-Kyūemonchō-Kurachi-Uramachi
区分:俗称
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年
冠称:「神田」
後身:神田元久右衛門町
現町名:千代田区東神田三丁目2・3番中部
概要:公称は「神田久右衛門町蔵地」で、一・二丁目があった。神田久右衛門町蔵地裏町とは、そのうちの一丁目北部の俗称。
神田久右衛門町蔵地は1718(享保3)年、久右衛門の代地が柳原土手内に与えられたが、深川にある荷揚場が遠隔地で商売に不便なため、荷揚場の移転を請願。1719(享保4)年、焚火の禁止と蔵と蔵の間隔を9尺空けるという条件で神田久右衛門町元地に蔵を造ることが許可され、1720(享保5)年に蔵地割が行われた。一丁目の北部はもと神田八名川町の一部だったが、1718(享保3)年に上納地となり、神田久右衛門町蔵地に編入され、俗に「神田久右衛門町蔵地裏町」といわれた(備考)。
公称の神田久右衛門町蔵地として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、神田元久右衛門町に編入となり消滅。
撮影場所:神田久右衛門町蔵地裏町
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