【神田②】柳原岩井町

町名:柳原岩井町

読み方:やなぎわらいわいちょう Yanagiwara-Iwaichō

区分:町丁

起立:享保年間(1716~1736年)

廃止:1869(明治2)年

冠称:「柳原」

後身:神田元柳原町

現町名:千代田区神田須田町二丁目

概要:「岩井町」という名前は、代々徳川将軍家の御用鎧師を務めた岩井家の屋敷があったことに由来するとされている。岩井町はもともと湯島一丁目の地にあったが、1682(天和2)年の大火で付近一帯が焼け野原となった。そこで幕府は焼け出された人々に町人地を与え、岩井町が誕生。

ところが享保年間(1716~1736年)、その岩井町も火災に遭う。今度は柳原土手(現在の神田須田町二丁目、岩本町三丁目、東神田二丁目周辺)が被災した町人に与えられた。1721(享保6)年、柳原土手下に移った人々は町名を「柳原岩井町」と定めた。それが当町である。また、1793(寛政5)年の火災で再び収公され、代地は下谷御成道西側に与えられた(備考)。

なお、柳原土手下に移転せずに岩井町に残った町人たちは「元からある岩井町」という意味を込めて自分たちの住む町を「元岩井町」と改称した。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、神田紺屋町三丁目代地、神田松下町一丁目代地、神田九軒町代地と合併し、神田元柳原町の起立となり消滅。代地は「神田末広町」と改称し消滅。

撮影場所:柳原岩井町

撮影地:千代田区神田須田町二丁目9番地(宮川ビル フタバ産業)

神田元柳原六丁目 神田久右衛門町蔵地裏町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。