足洗邸(足洗い屋敷)
この絵も歌川国輝によるもの。残念なことに10個のお話のうち3つ分ないんだよな。
―以下全てお話部分はWikipediaを引用―
江戸時代の本所三笠町(現・墨田区亀沢)に所在した味野岌之助という旗本の上屋敷でのこと。
屋敷では毎晩、天井裏からもの凄い音がした挙げ句、「足を洗え」という声が響き、同時に天井をバリバリと突き破って剛毛に覆われた巨大な足が降りてくる。
家人が言われたとおりに洗ってやると天井裏に消えていくが、それは毎晩繰り返され、洗わないでいると足の主は怒って家中の天井を踏み抜いて暴れる。
あまりの怪奇現象にたまりかねた味野が同僚の旗本にことを話すと、同僚は大変興味を持ち、上意の許を得て上屋敷を交換した。ところが同僚が移り住んだところ、足は二度と現れなかったという。
なお怪談中にある大足の怪物の台詞が「あらえ」、怪談の名称が「あらい」であるのは、江戸言葉特有の「え」「い」の混同によるものと指摘されている。
類話として、
本所七不思議の一つ「置行堀」の正体が狸であり、その狸が足洗邸に類似した怪異を起こしたという話がある。1765(明和2)年、置行堀の狸が人に捕えられて懲らしめられ、瀕死の重傷を負っていた。
偶然通りかかった小宮山左善という者が哀れに思い、彼らに金を与えて狸を逃がした。その夜、狸が女の姿に化けて左善の枕元に現れ、左善の下女が悪事を企んでいると忠告して姿を消した。
しばらく後、左善は下女の恋人の浪人者に殺害されてしまった。数日後、左善の一人息子の膳一のもとに狸が現れ、真相を教えた。膳一は仇討ちを挑むが、敵は強く、逆に追いつめられてしまった。そこへ、狸が左善の姿に化けて助太刀し、膳一は仇を討つことができた。
以来、家に凶事が起る際には前触れとして、天井から足が突き出すようになったという。
ってことで、秋刀魚を食べてから向かったのが北斎通り(本所南割下水)を真っ直ぐ西に来た亀沢四丁目交差点。
はい、ここが味野岌之助(みのかさのすけ)の屋敷跡、今は眼鏡屋。道を挟んで墨田区立竪川中学校(通称・たてちゅう)が在る。
ここに在ったお屋敷の天井から巨大な足が!…って、「足洗邸(足洗い屋敷)」って『本所七不思議』の中で一番現実味のない話だよなぁ。ただ、これ、『大江戸今昔めぐり』を見ると、本所三笠町一丁目御賄方大縄地となっており、味野の屋敷ではない。要するにだ、ここは本所三笠町(ほんじょみかさちょう)だから、味野岌之助(みのかさのすけ)という旗本がいたなんていうのもフィクションなわけだよ。ただ、三ツ目通りを渡った向かいには「蓑」さんっていう人が住んでるじゃないの!
錦糸町駅の北口再開発の際に北斎通りとして整備されてから人通りが激しくなった。我がバンドのベース担当K原によると「昔ぁ、夜も7時になりゃあ、あんなとこ人っ子一人歩っちゃいなかった」。
うーん、本所も昭和の終わりから平成に入る頃には怪談には全く似合わない町になってきたってことだね。
亀沢四丁目交差点、味野岌之助邸と本所南割下水。北斎通りが堀だった頃、ここには「九重橋」という橋が架かっていた。
しかし眼鏡を作ってるとき、天井からでけえ汚え足が降りて来たら嫌だな。
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