【麹町①026】麹町平河町

町番号:麹町①026

町名:麹町平河町 一~六丁目

読み方:こうじまちひらかわちょう Kōjimachi-Hirakawachō

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:存続

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「麹町」

現町名:千代田区平河町一・二丁目、永田町一丁目の一部

概要:町名の由来は、慶長年中(1596~1615年)に江戸城内平川口より地内に移建した平河天神社に因む。江戸期には一~三丁目があり、町名主は一~三丁目とも矢部氏。一丁目には俗に「首斬り浅右衛門」の名で知られる山田浅右衛門宅や地名の由来となった平河天神社があり(切絵図・画報)、平河天神社は1457(長禄元)年に太田道灌が江戸城築城の際、武蔵国入間郡川越三茅野より勧請したものと伝え(江戸鹿子ほか)、別当寺は上野寛永寺末天台宗修徳院長松山龍眼寺。

一丁目の一部は1727(享保12)年の火災で火除地となり、神田佐久間町一丁目の空地に代地を賜い、麹町平河町一丁目代地と称した(備考)。なお、麹町平河町一丁目代地は1869(明治2)年に神田平河町となる。二丁目の南北の通を俗に「蛤店」、「肴店」ともいい(切絵図)、三丁目の南北には獣肉を売る店があって俗に「獣店」といった(江戸繁昌記・備考・麹街略誌稿)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、湯島亀有町代地、同続拝領屋敷、同続志村茂七郎拝領屋敷、湯島三組町続拝領屋敷代地、木挽町四丁目裏上納地替地(四谷木挽町か)、教授所付町屋敷、麹町天神原並馬場が合併して四丁目を起立。1872(明治5)年、麹町谷町と貝坂通、駒井小路北側の武家地を合併して五丁目、麹町隼町、赤坂門内達磨門前東側と貝坂通の武家地を合併して六丁目を起立。同年の戸数488・人口2,150(府志料)。四丁目の天神原にあった馬術操練所平河馬場は1887(明治20)年頃まで存続。馬場の南は文明年間(1469~1486年)、太田道灌草創で天正(1573~1592年)・慶長年間(1596~1615年)に愛宕下に移されたと伝える。曹洞宗万年山青松寺の旧跡(江戸名所)。なお、年代は不明だが、一丁目の平河天満宮参道より南側の部分は元平河町起立から間もない時期に同町に編入されている。

1878(明治11)年11月2日、東京府麹町区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麹町区に所属。1892(明治25)年、四丁目に女紅学校が開校し、女子尋常小学校、大日本婦人教育会館を併設。四丁目には善隣書院、玉成学館、三槐学校等の私学校があった(画報)。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、一~三丁目と元平河町が一丁目に、四丁目と五丁目の一部、六丁目が二丁目に再編となる。五丁目の一部は永田町一丁目に編入となる。1943(昭和18)年7月1日、東京都麹町区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。1971(昭和46)年7月1日、住居表示を実施し、現在に至る。

※『角川日本地名大辞典』には「見坂」とあるが、「貝坂」の間違い。

撮影場所:麹町平河町五丁目

撮影地:千代田区平河町二丁目16番1号(平河町森タワー)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。