【神田①010】神田大和町

町番号:神田①010

町名:神田大和町

読み方:かんだやまとちょう Kanda-Yamatochō

区分:町丁

起立:1850(嘉永3)年

廃止:1965(昭和40)年6月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」

現町名:千代田区岩本町二丁目13~16番と17番北

概要:江戸初期は武家屋敷が建ち並び、通称「元誓願時前」と呼ばれていた。

柳原土手南側、細川長門守邸南側にある。1721(享保6)年以前は摂津三田藩九鬼長門守他の武家地だった。1721(享保6)年、新石町続地(竜閑橋北側に大和町あった)が移転し、大和町代地となった。1850(嘉永3)年、町半分が広小路となり、その代地が南柳原に与えられた。同年、代地が2つあって紛らわしいことから、町名から「代地」を省略した(慶応町鑑)。

幕末の頃には、当町から後の東竜閑町方面にかけて、駄菓子問屋が数百軒ほど軒を連ね、随分賑わっていた。また、蝋燭や鼈甲細工、箪笥等を作る職人も多く住んでいた。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、西側の神田元柳原六丁目・神田久右衛門町二丁目代地・神田佐久間町四丁目代地・横山町三丁目代地を合併。同時に一部は元岩井町に編入。1872(明治5)年の戸数337・人口1,435、蝋燭・鼈甲細工・簞笥等の職人が多く、駄菓子問屋が集住していた(府志料)。明治30年代の町内には代用水野小学校があった(画報)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、岩井河岸の一部を編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。

1965(昭和40)年7月1日、住居表示の実施により、岩本町二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:神田大和町

撮影地:千代田区岩本町二丁目15番3号(岩本町ほほえみプラザ)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。