【神田①045】元岩井町

町番号:神田①045

町名:元岩井町

読み方:もといわいちょう Moto-Iwaichō

区分:町丁

起立:1721(享保6)年か

廃止:1965(昭和40)年6月30日

冠称:1947(昭和22)年3月15日から1965(昭和40)年6月30日まで「神田」

現町名:千代田区岩本町二丁目8・9、18番

概要:もとは岩井町。天和年間(1681~1683年)まで雲光院他3ヶ寺があった。町はもと湯島一丁目にあった。1682(天和2)年の火災で上地となり、当地に代地を与えられた。町名は代々将軍家の甲冑師で、家綱の時に奈良から移り住んだ岩井与右衛門の姓に因むというが不詳。また、古くは「祝」の字を用いたともいう(東京地理志料)。

1721(享保6)年、町内の一部が上地となり(享保年間(1716~1736年)の火事とも)、柳原土手下(現在の神田須田町二丁目、岩本町三丁目、東神田二丁目周辺)に代地が与えられ、そちらは「柳原岩井町」と名付けられた。一方、移転せずに当地に残った人々は、「こちらが元からある岩井町」という意味を込め、町名を「元岩井町」と改称。

江戸時代の元岩井町には金物を扱う商人等がいた。1824(文政7)年に書かれた『江戸買物独案内』には、釘や銅物等を扱う鉄物問屋・三河屋が町内にあったことが記されている。現在も岩本町二丁目と一丁目を分ける道が「神田金物通り」と呼ばれるのはその名残。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、岩本町神田大和町内の一部と道有屋敷を合併。また、一部は豊島町一丁目に編入。同年の戸数232・人口1,056。物産に簞笥、長持、紫染があった(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、岩井河岸の一部を編入。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。1953(昭和28)年、一部を神田豊島町に編入。

1965(昭和40)年7月1日、住居表示の実施により、岩本町二丁目に編入となり消滅。

撮影場所:元岩井町

撮影地:千代田区岩本町二丁目8番10号(神田永谷マンション ほっともっと岩本町店)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。