【神田①047】東松下町

町番号:神田①047

町名:東松下町

読み方:ひがしまつしたちょう Higashi-Matsushitachō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:存続

冠称:1947(昭和22)年3月15日から「神田」

現町名:千代田区神田東松下町、岩本町二丁目

概要:江戸時代、界隈は商人や職人の家と武家屋敷が混在する地域であり、旧千桜小学校辺りには北辰一刀流の開祖千葉周作の剣術道場「玄武館」があった(品川町から移転)。また、その隣には儒者東条一堂の「瑤池塾」もあり、幕末のこの辺りは坂本龍馬や清川八郎、山岡鉄舟等、若き志士たちが飛躍へ向け、文武を練った場所でもある。

近江仁正寺藩市橋家上屋敷の西南隅に「赤山」という斬罪場跡があった(新編江戸志)。また、屋敷内には於玉が池の一部だった古池があった。小蛇が生息しており、2月の初午には蛇祭が行われた(画報)。

1869(明治2)年、神田松下町一丁目代地、神田紺屋町一丁目代地と神田岸町神田三島町神田富山町二丁目の一部、近江仁正寺藩市橋家上屋敷、元誓願寺前武家地等を併せて成立。内神田に「松下町」という町名があったため、そこと区別するために「東」を付けたと言われている。1872(明治5)年の戸数265・人口1,035(府志料)。1874(明治7)年、千桜小学校が創立された。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。1933(昭和8)年、帝都復興計画の一環により、一部を岩本町に編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。

1965(昭和40)年7月1日、住居表示の実施により、岩本町二丁目に一部を割譲。

撮影場所:東松下町

撮影地:千代田区神田東松下町47番地1(日本マンパワー)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。