【神田①085】神田松下町

町番号:神田①085

町名:神田松下町

読み方:かんだまつしたちょう Kanda-Matsushitachō

区分:町丁

起立:1697(元禄10)年

廃止:1721(享保6)年

復活:1869(明治2)年

廃止:1934(昭和9)年

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「神田」

現町名:千代田区内神田一~三丁目

概要:1697(元禄10)年、太田摂津守屋敷、旗本屋敷の上地跡を、御用達商人等が拝領して起立。一~三丁目があった。のち1721(享保6)年、火災で類焼、全域が火除地となり、代地を柳原土手内、神田富山町続、八丁堀新銀町代地続等数ヶ所に与えられた。なお、二・三丁目の南側の町屋は町域北側、鎌倉町続の元地のうちに代地を与えられた。『備考』には松下町一丁目代地、松下町二丁目北側代地、松下町三丁目北側代地、松下町二丁目南側代地、松下町三丁目南側代地が挙げられている。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、各代地とも江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、各代地とも東京府に所属。1869(明治2)年、一丁目代地は、神田元柳原町東松下町田代町の新規起立されるそれぞれの一部に編入となり消滅。二丁目北側代地、三丁目北側代地も新規起立される神田松富町に編入となり消滅。そして二丁目南側代地、三丁目南側代地、神田新革屋町が合併し、神田松下町が復活。1872(明治5)年の戸数77・人口316(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。

1934(昭和9)年、帝都復興計画の一環により、鎌倉町に編入となり消滅。

撮影場所:神田松下町

撮影地:千代田区内神田二丁目6番9号(出世不動尊)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。