【神田①083】雉子町
町番号:神田①083
町名:雉子町
読み方:きじちょう Kijichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1935(昭和10)年
冠称:なし
現町名:千代田区神田小川町一丁目1、11番地、神田司町二丁目11、13、15番地と6、8番地西側、神田須田町一丁目2、4番地西側
概要:もと雉子橋御門外にあった人家を元和年間(1615~1624年)に筋違橋御門内の西南の地に移したという。『江戸名所』、『東都歳時記』、『武江年表』等の著者の斎藤月岑は名主であった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、付近の武家地を合併。1872(明治5)年の戸数143・人口733(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。明治30年代の町内には、1889(明治22)年2月21日の帝国憲法発布の日に創刊号を出した日本新聞社があった。また、義太夫語り紋左衛門の経営する銭湯「栄国亭」が有名だった(画報)。
1933(昭和8)~1935(昭和10)年、帝都復興計画の一環により、小川町一丁目・須田町一丁目・司町二丁目のそれぞれに編入となり消滅。
撮影場所:雉子町
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