【神田①084】神田鎌倉町

町番号:神田①084

町名:神田鎌倉町

読み方:かんだかまくらちょう Kanda-Kamakurachō

区分:町丁

起立:1605(慶長10)年か

廃止:1966(昭和41)年3月31日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「神田」

現町名:千代田区内神田一丁目1、5~8、内神田二丁目1~7、内神田三丁目1~4番

概要:神田橋外から龍閑橋に至る神田川北側の地域で、南側は鎌倉河岸。町名の由来は徳川氏の江戸築城の際、鎌倉から運送されてきた石材を当地で荷揚げしたためともいう。1697(元禄10)年、河岸通りの道幅が拡げられ、一部が召し上げられたため、外神田に代地が与えられた。1799(寛政11)年正月の火災で町屋は北側にあった火除地に移動。名主は梯沢平治郎。当町にあった豊島酒店は徳川氏入国前よりの創業といい、3月の節句の白酒は有名で、例年2月末は客で混雑した(江戸名所・画報)。また慶長年間(1596~1615年)の鎌倉河岸には、駿河府中の弥勒町から移した遊女屋が14、5軒あったが(御府内青楼記事実録)、1617(元和3)年に革屋町続に吉原町ができると移転。1657(明暦3)年の『新添江戸之図』には既に「かまくら丁」の名が記載されている。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、鎌倉横町南側代地・新革屋町飛地を合併。1872(明治5)年の戸数66・人口206(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府神田区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市神田区に所属。

1935(昭和10)年、帝都復興計画の一環により、三河町一丁目、松下町千代田町西今川町(線路西側)を合併。1943(昭和18)年7月1日、東京都神田区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都千代田区に所属。

1966(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、現行の内神田一~三丁目に編入となり消滅。

撮影場所:神田鎌倉町

撮影地:千代田区内神田一丁目6番(御宿稲荷神社)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。