【日本橋①037】上槇町
町番号:日本橋①037
町名:上槇町
読み方:かみまきちょう Kami-Makichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1928(昭和3)年
冠称:なし
現町名:中央区八重洲一丁目、日本橋三丁目
概要:一・二丁目があった。古くは外堀と楓川(現在の首都高速1号)を結ぶ入堀に面していたが、元禄期(1688~1704年)までには西半分が埋め立てられ、埋立地を「中橋広小路」或いは単に「広小路」と称した。付近には下槇町、南槇町、北槇町、冨槇町等、「槇町」の名が多く見られる(切絵図)。町名は檜物町、榑正町、元大工町等と隣接することから槇木の置き場であったことによると思われる(画報)。また、石工が多く居住し、入堀から陸揚げした石材で五輪塔を作っていたことから俗に「五輪町(ごりんちょう)」ともいわれた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、檜物町会所屋敷、上槇町新道会所屋敷を合併。1872(明治5)年の戸数249・人口996(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府日本橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市日本橋区に所属。
1928(昭和3)年、帝都復興計画の一環により、通三丁目、呉服橋三丁目に編入となり消滅。現行の八重洲一丁目、日本橋三丁目のうち。
撮影場所:上槇町
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