【京橋①052】新富町

町番号:京橋①052

町名:新富町 一~七丁目

読み方:しんとみちょう Shintomichō

区分:町丁

起立:1871(明治4)年

廃止:存続 「新富」として

冠称:なし

現町名:中央区銀座一丁目、新富一・二丁目

概要:江戸期は武家地。1868(慶應4・明治元)年、築地の外国人居留者を目当てにした新島原遊郭が置かれた。新吉原遊郭の中万字屋弥兵衛、中屋宗四郎の2人が願い出て、新たに借地を賜ったものである。しかし思い通りの集客が得られず、1871(明治4)年6月に取り払いを命じられ、花街は新吉原に移転。その跡地に新富町が成立。地名の由来については、旧来からの大富町に対して付けられたという説と、新島原と大富町からそれぞれ一字を採ったという説がある。1872(明治5)年、守田座が浅草猿若町から六丁目(現在の京橋税務署付近)に移転し、後に「新富座」と改称。同年の戸数439・人口1,998(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。同年内に大富町を編入。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。南の築地川には相引橋、東の入船川(現・新大橋通り)には新富橋が架けられていた。相引橋の付近は剣術師桃井春蔵が住んでいたという(画報)。1923(大正12)年9月1日、歌舞伎隆盛の一時代を築いた新富座が関東大震災により焼失。そのまま再建されることなく廃座となった。

帝都復興計画の一環により、1931(昭和6)年に一丁目の一部を木挽町一丁目に編入し、1932(昭和7)年には南八丁堀一丁目の一部を編入、新富町一~三丁目に再編成。1943(昭和18)年7月1日、東京都京橋区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都中央区に所属。

1971(昭和46)年1月1日、住居表示の実施により、「町」を外す。

撮影場所:新富町六丁目

撮影地:中央区新富一丁目9番11号(民家 都営バス新富町停留所)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。