【京橋①070】永島町
町番号:京橋①070
町名:永島町
読み方:ながしまちょう Nagashimachō
区分:町丁
起立:享保年間(1716~1735年)
廃止:1931(昭和6)年
冠称:なし
現町名:中央区八丁堀二丁目26~30番
概要:亀島川西岸に位置した。町名の由来は不明だが、近辺に元島町・北島町といった町名があり、霊岸島埋立以前の砂洲に名付けられたものであろう(画報)。一帯は「八丁堀」と俗称され、寛永年間(1624~1645年)には寺社地であったが、明暦の大火後に移転して武家地となり、享保年間(1716~1735年)に町屋となった。亀島川の河岸地は南隣の日比谷町の名を採って「日比谷河岸」と称されていた。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年の戸数141・人口574(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府京橋区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市京橋区に所属。
1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、八丁堀二丁目に編入となり消滅。現行の八丁堀二丁目26~30番のうち。
撮影場所:永島町
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