【芝①023】西久保明船町
町番号:芝①023
町名:西久保明船町
読み方:にしくぼあけふねちょう Nishikubo-Akefunechō
区分:町丁
起立:1869(明治2)年
廃止:1977(昭和52)年8月31日(港区町名旧新対照表では1976(昭和51)年9月30日)
冠称:「西久保」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」
現町名:港区虎ノ門二丁目3~9番
概要:もとは武家地。1867(慶應3)年7月、築地鉄砲洲を外国人居留地とした際、用地となった明石町、船松町二丁目と、維新後に与えられた芝車町、芝伊皿子七軒町、三田功運寺門前(後の三田功運町の一部)、三田台町一丁目の6つの町の代地となる。1869(明治2)年にこれらを合併し、「明石」、「船松」の町名より一字を採って「西久保明舟町」と名付ける。その後、「舟」の字を「船」に改める(年代不明)。逆に「西久保明船町」と名付け、後に「舟」としたという説もある。『江戸地名俚俗字引』では読みを「あきふねちょう」としている。
1872(明治5)年にはさらに付近の旧武家地を合併。同年の戸数69・人口334(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数286・人口1,193。大部分が住宅地であった。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。昭和30年代にはまだ町中央部に住宅が残っていたが、その後殆ど中小ビルの都心的街況となった。
1977(昭和52)年9月1日、住居表示の実施により、虎ノ門二丁目3~9番に編入となり消滅(港区町名旧新対照表では1976(昭和51)年10月1日)。
撮影場所:西久保明船町
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