【芝①026】西久保広町

町番号:芝①026

町名:西久保広町

読み方:にしくぼひろまち Nishikubo-Hiromachi

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1977(昭和52)年12月31日

冠称:「西久保」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」

現町名:港区虎ノ門三丁目18・19番の一部と20~25番、愛宕二丁目6番13・14号

概要:1869(明治2)年、西久保同朋町芝富山町芝北新門前町白金青松寺門前町芝青龍寺門前町、芝光円寺門前、天徳寺門前の一部、青龍寺門前代地が合併して成立。町名は町南の増上寺涅槃門から西久保の通りに出る所を里俗に「広小路(芝広小路)」といったことによる。この広小路には見世物小屋等が置かれていた(府志料、沿革誌、画報、案内)。「広町」というが町域は狭い。

1872(明治5)年、青龍寺、光円寺、俊朝寺の寺地を合併。同年の戸数166・人口753(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1908(明治41)年の世帯数280・人口1,076。明治末期、路面電車の通る切通しが町西部の中央を東西に分断した。1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

住居表示の実施により、1976(昭和51)年10月1日に大部分が虎ノ門三丁目18・19番の一部と20~25番に編入、1978(昭和53)年1月1日には愛宕二丁目6番13・14号に編入となり消滅。

撮影場所:西久保広町

撮影地:港区虎ノ門三丁目20番3号(ノアーズアークビル 高本製麺所)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。