【芝①079】高輪西台町

町番号:芝①079

町名:高輪西台町

読み方:たかなわにしだいまち Takanawa-Nishi-Daimachi

区分:町丁

起立:1872(明治5)年

廃止:1967(昭和42)年6月30日

冠称:「高輪」、さらに1947(昭和22)年3月15日から「芝」

現町名:港区高輪一丁目4・5、16番の一部と6~15番

概要:1872(明治5)年、肥後熊本藩細川氏邸地跡の海軍軍医寮に新たに町名を加えた。町名は高輪台町の西であることによる(江戸名所、案内)。同年、新橋~横浜間に日本初の鉄道が開通し、品川駅が高輪南町に開業した。

1878(明治11)年11月2日、東京府芝区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市芝区に所属。1893(明治26)年、海軍軍医寮は明治天皇皇女常宮周宮の高輪御殿となる。1908(明治41)年の世帯数19・人口88。

1927(昭和2)年、一部が高松宮邸となった。高松宮邸ははじめ、東京市麹町区三年町(現在の東京都千代田区永田町、内閣府庁舎付近)にあった有栖川宮邸を引き継いだが、昭和に入って同建物が外務大臣官邸に転用されることに伴い、現・港区高輪一丁目にあった高輪御殿(高輪御用邸)に移転した。同地は江戸時代、大石良雄等の切腹地として知られる肥後細川家の下屋敷跡であり、大正時代には皇太子であった昭和天皇が一時期東宮御所としていたこともある。

1943(昭和18)年7月1日、東京都芝区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。高松宮邸は戦後、広大な敷地は宣仁親王の意によって縮小され、払い下げられた場所には港区立高松中学校や都営高輪アパート等が建てられた。また、残った敷地内にあった本館も「光輪閣」として改装のうえ一般開放された。光輪閣は嘗て宣仁親王の国際関係特別秘書官であった川添浩史を支配人に迎え、結婚式場等として貸し出された。また、嘗ては夏になると宮邸の庭にあったプールも近隣の子供たちに開放されていた。

1967(昭和42)年7月1日、住居表示の実施により、高輪一丁目4・5、16番の一部と6~15番に編入となり消滅。

撮影場所:高輪西台町

撮影地:港区高輪一丁目16番25号(港区立高松中学校)

←078高輪台町 080三田

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。