【麻布①005】麻布市兵衛町

町番号:麻布①005

町名:麻布市兵衛町 一・二丁目

読み方:あざぶいちべえちょう Azabu-Ichibeichō

区分:町丁

起立:1695(元禄8)年

廃止:1976(昭和51)年9月30日

冠称:1911(明治44)年5月1日~1947(昭和22)年3月14日を除き「麻布」

現町名:港区六本木一丁目3、5~10番、三丁目1~7、15番、六本木四丁目1番、虎ノ門四丁目3番

概要:1614(慶長19)年の頃は今井村のうちの畑地で、承応年間(1652~1654年)頃から町並となり、高台にあったことから「今井台町」と称した。市兵衛なるものが草創し、以後代々名主を務め、寛文・延宝図に既に「市兵ヘ丁」等の記載がある。1695(元禄8)年、代官に願い出て名主名に因む「麻布市兵衛町」と改称。1713(正徳3)年、町奉行支配となる。1828(文政11)年の総家数103軒、うち家持8・家主25・地借12・店借49(町方書上)。町内に「北横丁」の俗称地名があった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、東隣の麻布坂江町、南西方向の麻布不動院門前、東北方に離れてあった麻布陽泉寺門前を編入。1872(明治5)年、元陸奥八戸藩南部氏、美濃高富藩本上氏、相模荻野山中藩大久保氏の上屋敷、石見浜田藩松平氏下屋敷、幕臣邸地を陽泉寺門前の部分に加え、麻布市兵衛町一丁目とし、その他の地区に陸奥八戸藩南部氏、常陸下館藩石川氏の下屋敷、不動院浄因寺の寺地を加えて二丁目とした。同年の戸数282・人口1,036(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府麻布区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市麻布区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都麻布区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都港区に所属。

住居表示の実施により、1967(昭和42)年7月1日に一丁目は西端の極一部を残し、現行の六本木一丁目3、5~10番に編入(一部は虎ノ門に変更)、二丁目は六本木一丁目の一部、三丁目の1~7、15番、六本木四丁目1番に編入、残った一丁目の一部も1976(昭和51)年10月1日には虎ノ門四丁目3番(一部は六本木に変更)に編入となり消滅。

撮影場所:麻布市兵衛町二丁目

撮影地:港区六本木三丁目3番4号(水橋)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。