【四谷①033】四谷内藤町
町番号:四谷①033
町名:四谷内藤町
読み方:よつやないとうまち Yotsuya-Naitōmachi
区分:町丁
起立:1891(明治24)年3月18日
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「四谷」
現町名:新宿区内藤町
概要:潮踏の里。もとは内藤新宿の内。江戸時代の初め、内藤家の拝領地(東上軍警戒地)は、代々木・千駄ヶ谷・四谷・大久保に及んだが、江戸の繁栄に従って縮小された。内藤家は幕末まで高遠3万3,000石を領し、江戸の藩邸は新政府の大蔵省に売却したが、現在も町内に住んでいる。
江戸期において、現・新宿御苑は信濃高遠藩内藤氏中屋敷で、維新後は「廃藩置県まで、家一軒もなく、竹垣相連りて其の内は悉く杉の大木喬立して山の如く、積翠路を圧して、昼間尚お陰湿、夜に入るに至りては、狐狸徘徊して寂莫」(画報)としていた。1872(明治5)年に農事試験場、1879(明治12)年には新宿植物御苑となり、皇室用の「花卉蔬菜果樹」の栽培にあたった。1906(明治39)年、洋式庭園に改修し、名も「新宿御苑」と改め、一般公開した。1887(明治20)年頃から玉川上水の余流(渋谷川の源流)以東の一画が甲州街道沿いの青物市場を中心に開けた。
1878(明治11)年11月2日、内藤新宿1~11番地。その後、東京府南豊島郡内藤新宿町大字内藤新宿一丁目の一部。1889(明治22)年5月1日に東京府東京市四谷区に編入。その後、1891(明治24)年3月18日に「四谷内藤町」と命名された。東京府東京市四谷区所属。東京の町名で大名の姓に由来するのは青山とここだけである。その際、大字内藤新宿一丁目字大木戸を編入(同時に大字内藤新宿添地町の飛地(現在の四谷四丁目の一部)も四谷永住町に編入された)。
1920(大正9)年、東京府豊多摩郡内藤新宿町の四谷区編入の際、内藤新宿一丁目の一部(87番地(水道局のところ))を併合。1962(昭和37)年、大番町と右京町が合併するとき、吸収される話もあったが、町民が内藤家の歴史的意義を訴えて生き残ることを得た。町内には、内藤家の祖先とされる藤原鎌足を祀った多武峯内藤神社も存在する。
1943(昭和18)年7月1日、東京都四谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。御苑は内藤町の数十倍あって11番地、水道局は87番地。ただし12~86番地は欠番。
撮影場所:四谷内藤町
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