【牛込①003】市ヶ谷船河原町


町番号:牛込①003

町名:市ヶ谷船河原町

読み方:いちがやふながわらまち Ichigaya-Funagawaramachi

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:存続

冠称:「市ヶ谷」、1911(明治44)年5月1日から「市谷」

現町名:新宿区市谷船河原町

概要:古くは豊島郡野方領市谷村に属した。町屋はもと平河御門内にあり、江戸城の修築のため収公されて牛込御門内に代地を給されたが、後にその地も火除地として収公され、当地に代地を給された。町名の由来は不詳。1828(文政11)年の家数24軒(町方書上)。

別説では、古く室町時代には存在していたようであり、「船河原」とは揚場河岸(牛込揚場町)で荷揚げした空舟の船溜りの河原の意。江戸川が神田川に落ちるところ(川口)に架かる橋を「船河原橋」といい、外堀通りを通している。ここは往時、神田上水の関口の水位を上げるために堰になっており、落水の音が轟々と轟いたので「ドンドン」と俗称され、江戸川が御留川(禁漁区)で神田川に落ちた鯉は放免とされたので橋は釣り客で賑わったという。現在は神田川の飯田橋の横にも同名の橋が架かり、変形の三股橋となっている。筑土神社によると氏子は市谷船河原町であり、そうなると津久戸村が移転したということになる。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、近隣の武家地を併合。同年の戸数46・人口194(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。「外堀に面するの地は市廛を開きて以て田町に通ぜり(中略)新坂の辺には邸宅多し」(画報)。町域中央から払方町に至る坂道を「逢坂」又は「大坂」という。

撮影場所:市ヶ谷船河原町

撮影地:新宿区市谷船河原町14番地(逢坂下 民家)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。