【牛込①057】牛込岩戸町
町番号:牛込①057
町名:牛込岩戸町
読み方:うしごめいわとちょう Ushigome-Iwatochō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:存続
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「牛込」
現町名:新宿区岩戸町、神楽坂三、五丁目
概要:古くは豊島郡野方領牛込村に属す。1797(寛政9)年の火災で類焼した深川六間堀町の代地として翌年の1798(寛政10)年に起立、深川六間堀町代地牛込岩戸町一~二丁目と称した。延宝(1673~1681年)の頃は留守居与力の士宅地と牛込肴町の一部だったが、1797(寛政9)年当時は火除地となっていた。
町名の由来は天の岩戸の神話に因む(新宿区町名誌)。天鈿女命(あめのうずめのみこと)が神楽を舞って天岩戸(あまのいわと)を開いた神話を引き合いに「岩戸神楽の昔から…」つまり「岩戸(町)が神楽(坂)の上にある」との洒落で命名されたという。
文政年間(1818~1830年)の家数は、一丁目が34軒、うち家守4・地借15・店借15、二丁目が77軒、うち家守4・地借11・店借62(町方書上)。「神楽坂上、肴町より西に分岐する市区改正の道路にして、商家櫛比、百貨流通、甚だ殷賑」であったという(備考)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、一・二丁目の丁目を廃止。1872(明治5)年、牛込肴町の飛地、正法寺の寺地の半部と近隣の士宅を編入。同年の戸数131・人口430(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府牛込区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市牛込区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都牛込区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都新宿区に所属。当初の岩戸町は大久保通りの南、18~23番地の辺り。一丁目は神楽坂三、五丁目の内。町名から「深川六間堀町代地」がいつ外されたのかは不明。
撮影場所:牛込岩戸町
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