【小石川①001】小石川竹早町

町番号:小石川①001

町名:小石川竹早町

読み方:こいしかわたけはやちょう Koishikawa-Takehayachō

区分:町丁

起立:1869(明治2)年

廃止:1966(昭和41)年3月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」

現町名:文京区小石川四・五丁目、小日向四丁目

概要:1869(明治2)年、俚俗に小石川同心町(3年後に残余が正式に小石川同心町として起立)、小石川鷹匠町小石川安房殿町いった所と、小石川簞笥町上町小石川簞笥町仲町小石川簞笥町下町を合併して成立。1872(明治5)年7月、小石川智香寺門前(町)小石川光岳寺門前(町)小石川宮下町飛地、小日向清岸寺門前(小日向清岸寺町)と華族松平氏別邸跡を合併。町名は「簞笥町」の「簞」の字を2つに分けたことによる。同年の戸数210・人口852(府志料)。町北の小石川久堅町へ下る坂を江戸期に小日向清岸寺門前(小日向清岸寺町)で「団平」という名の者が米を撞いて商いしていたので「団平坂」という。

1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1900(明治33)年、東京府師範学校の跡地に東京府女子師範学校が設立。1935(昭和10)年、当時当町に居住していた天皇機関説で知られる美濃部達吉邸は暴徒に襲われた。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

住居表示の実施により、1964(昭和39)年8月1日に小石川四・五丁目に、残余は1966(昭和41)年4月1日に小日向四丁目に編入となり消滅。なお、江戸期の町域、小石川御簞笥町下町は現行の小日向四丁目の一部、小石川御簞笥町上町は現行の小石川五丁目3番付近、小石川御簞笥町仲町は現行の小石川五丁目1・2番付近。

※『角川日本地名大辞典』では廃止年を「昭和39年」と、「簞笥町」の各町を「御」付きと、「智香寺」を「智光寺」と、なっているが間違い。


以下、小石川御簞笥町の各町について触れておく。

古くは豊島郡小石川村のうち。江戸期から維新までは小石川御簞笥町下町小石川御簞笥町上町小石川御簞笥町仲町。維新後に全町「御」の字を外し、小石川簞笥町下町小石川簞笥町上町小石川簞笥町仲町となった。当初は下・上・仲の区別はなかったものと思われるが、以下成立順に下・上・仲の順に説明する。

小石川御簞笥町下町は、1627(寛永4)年に御弓矢奉行比企次左衛門組の同心10人の拝領地となる。1721(享保6)年に上地となって以後は、江戸町年寄樽屋藤右衛門に地代を納めた。1738(元文3)年、御絵師住吉内記の拝領屋敷となる。町名は小石川御簞笥町上町に隣接することによる。町の西側の坂を「藤坂」といった。

小石川御簞笥町上町は、1630(寛永7)年に御簞笥奉行中根善蔵組の同心10人の拝領町屋敷となる。当町東側の小石川御簞笥町仲町との境を俚俗に「引出し横丁」といった。当町の名主・十兵衛の先祖は1632(寛永9)年に本小田原町から移り、代々名主役を勤めた。

小石川御簞笥町仲町は、1631(寛永8)年に御具足奉行・伴作平組の同心10人の拝領町屋敷となる。小石川御簞笥町仲町の町名は西側の小石川御簞笥町上町に準じて付けられた。北側には武家屋敷が並び、嘗て鷹匠衆が拝領したので俚俗に「小石川鷹匠町」といった。

その後、それぞれ1632(寛永9)年より町並屋敷となり、1713(正徳3)年に代官支配から町奉行支配となる。

なお、町名の「簞笥」とは「武器」のことを指すが、もともと御簞笥奉行、御具足奉行、御弓矢奉行という、3つの奉行の組同心が拝領した土地であったが、「具足町」や「弓矢町」との区別はせず、全て「小石川御簞笥町」と統一された。なお、「小石川御簞笥町下町」は御弓矢奉行、「小石川御簞笥町上町」は御簞笥奉行、「小石川御簞笥町仲町」は御具足奉行。なお、同様に牛込御簞笥町も御具足奉行と御弓矢鑓奉行の組同心の土地であったが、町名は「具足町」や「弓矢鑓町」とはせず、町名は「簞笥」で統一されていた。

武器類を扱う集団「簞笥方」が住んでいた小石川御簞笥町各町はもう一方で「大福餅」発祥の地として知られる。塩餡の入った「腹太餅(はらふともち)」をベースに、餡を甘くして小ぶりにした「大腹餅(だいふくもち)→大福餅」が1771(明和8)年に発売され人気となった。

小石川御簞笥町下町小石川御簞笥町上町小石川御簞笥町仲町は、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。その際、「御」の字を取り、それぞれ小石川簞笥町下町小石川簞笥町上町小石川簞笥町仲町となり、1869(明治2)年に「小石川竹早町」となる。前述のとおり、「竹早」とは「簞」の文字を上と下に分けたと言われる。新政府への気遣いか。

撮影場所:小石川竹早町

撮影地:文京区小石川五丁目9番(文京区立竹早公園 竹早テニスコート)

002小石川大塚窪町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:寺島村大字寺島字前沼