【小石川①005】小石川大塚仲町
町番号:小石川①005
町名:小石川大塚仲町
読み方:こいしかわおおつかなかまち Koishikawa-Ōtsuka-Nakamachi
区分:町丁
起立:延享年中(1744~1748年)
廃止:1966(昭和41)年3月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区大塚三・四丁目
概要:古くは豊島郡小石川村のうち。延宝年間(1673~1681年)以前に百姓町屋が許され、延享年中(1744~1748年)に「小石川大塚仲町」と称した。1745(延享2)年、町奉行支配となる(備考)。町名は小石川大塚上町と小石川大塚窪町の間、仲の町であることからであろう。
なお、『江戸町名里俗名集覧』には「小石川大塚坂上町」とあり、その説明に「波切ふどうの所」とあるが、そこは当町であり、「小石川大塚坂下町」はあれど「小石川大塚坂上町」という町は存在しなかった。坂上のここは俚俗にはそう呼ばれていたのだろうか。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年までに、小石川高源寺門前(小石川大塚高源町)、旧桑名藩邸等を合併。同年の戸数52・人口204(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1891(明治24)年、小石川村の一部を合併。1911(明治44)年、東に隣接する小石川大塚窪町から西方の小石川大塚辻町までの路面電車が現在の春日通りに開通。大正中期には当町の一画に「仁丹」「花見煎餅」等の広告が見られた。1928(昭和3)年に開園した大塚公園は、当時市内有数の近代的設備を有していた。当町には吹上稲荷神社、波切不動堂、日蓮宗大法山本伝寺、曹洞宗龍宝山高源院等があった。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1966(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、大塚三・四丁目に編入となり消滅。
撮影場所:小石川大塚仲町
0コメント