【小石川①007】小石川大塚辻町
町番号:小石川①007
町名:小石川大塚辻町
読み方:こいしかわおおつかつじまち Koishikawa-Ōtsuka-Tsujimachi
区分:町丁
起立:1872(明治5)年7月
廃止:1966(昭和41)年3月31日
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」
現町名:文京区大塚四・五丁目
概要:1737(元文2)年に町屋の起立を許可され、1745(延享2)年に町奉行支配となり、「巣鴨辻町」と称した(備考)。化政期(1804~1830年)の家数27軒(町方書上)。町名は往還が分岐する地点に起立した町の意。
前身の巣鴨辻町として、慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年7月、武家地を合併し、「小石川大塚辻町」と改称(『文京区史』では「6月」とある)。同年の戸数46・人口187(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。その際、小石川大塚辻町の飛地は東京府北豊島郡巣鴨町に編入され、巣鴨町大字大塚辻町となった(その後の1932(昭和7)年10月1日、東京市豊島区巣鴨六丁目となる)。1896(明治29)年、東京市養育院が本所長岡町から当町に移転(現在の文京区立大塚公園、文京区立大塚福祉作業所付近)。同院は、1872(明治5)年に本郷の加賀藩邸の空長屋に窮民、乞食等を収容したことに始まる。なお、1923(大正12)年の関東大震災後には市街地の発展により、板橋に移転。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。
1961(昭和41)年4月1日、住居表示の実施により、大塚四・五丁目に編入となり消滅。
撮影場所:小石川大塚辻町
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