【小石川①017】小石川仲町

町番号:小石川①017

町名:小石川仲町

読み方:こいしかわなかまち Koishikawa-Nakamachi

区分:町丁

起立:江戸期

廃止:1964(昭和39)年7月31日

冠称:1911(明治44)年4月30日まで「小石川」

現町名:文京区春日一丁目

概要:切絵図には伝通院の東側に小さく記されている。町名は小石川金杉水道町小石川伝通院前表町との間にあることによる(備考)。文京区の『旧町名案内』には「古老の口伝えとして、次の話が伝えられている。(昭和12年、日日新聞所蔵)。承応年間(1652~55年)、三代将軍家光が鷹狩りのみぎりここに馬をとめ、「ここはどこぞ」と尋ねた。供の者は、かしこまって、「小石川村の中ほどにございます」と申し上げると、家光は「ああそうか、仲町じゃな」と。これから、小石川仲町となったとある」。また、『文京区史』には「金杉水道町すなわち小石川水道町伝通院表町との間にあるのでこの名ができた」とある。古町の1つで、毎年正月3日に江戸本丸での能楽拝見を許されていた(備考)。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年5月、小石川金杉水道町のうちの俗称である「小石川肴店(肴店町)」、「七軒町」を合併。1872(明治5)年8月、真言宗金剛山常泉院、浄土宗東光山西岸寺と付近の武家地を合併。同年の戸数34・人口141(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府小石川区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市小石川区に所属。1940(昭和15)年、一部を富坂二丁目に編入。1943(昭和18)年7月1日、東京都小石川区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都文京区に所属。

1964(昭和39)年8月1日、住居表示の実施により、春日一丁目に編入となり消滅。

撮影場所:小石川仲町

撮影地:文京区春日一丁目12番12号(常泉院)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。