【下谷①031】上野元黒門町
町番号:下谷①031
町名:上野元黒門町
読み方:うえのもとくろもんちょう Ueno-Moto-Kuromonchō
区分:町丁
起立:1625(寛永2)年若しくは1626(寛永3)年
廃止:1964(昭和39)年9月30日
冠称:「上野」
現町名:台東区上野二丁目
概要:1625(寛永2)年の寛永寺創建時若しくは寛永寺創建の翌年である1626(寛永3)年、上野新黒門町の起立に伴い、上野黒門町を改称して成立。1697(元禄10)年、下谷広小路(上野広小路)を造成するため、町域の東部を収公されたが、幕末に広小路の東側に飛地が2ヶ所あるところを見ると、後に返還されたと考えられる。1745(延享2)年、寺社奉行支配から町奉行支配になった。町域の北側を忍川が流れ、三橋(御橋)が架かっており、上野御定式御成の際は上野仁王門前町とともに掃除役をすることになっていた。菓子屋の茗荷屋は有名だった(備考)。1828(文政11)年の家数72軒(町方書上)。不忍池の東南に位置し、江戸期から出合茶屋の多い町で、森鷗外の『雁』に登場する松源をはじめ、蓬莱屋・鯉屋等があった(酒飯手引草)。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、東側の飛地は上野広小路町の一部となり、五條天神の北隣にあった飛地は五條町の一部となり、上野仁王門前町、仁王門前家来屋敷の一部を合併。1872(明治5)年の戸数78・人口421(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1964(昭和39)年10月1日、住居表示の実施により、現行の上野二丁目に編入となり消滅。
撮影場所:上野元黒門町
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