【下谷①035】上野北大門町
町番号:下谷①035
町名:上野北大門町
読み方:うえのきただいもんちょう Ueno-Kita-Daimonchō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1964(昭和39)年9月30日
冠称:「上野」
現町名:台東区上野一・二丁目
概要:1625(寛永2)年に寛永寺門前町として起立。寛永寺の大門に因み、はじめ「上野大門町」といった。1697(元禄10)年、寛永寺中堂の建立に際し東半部が収公され、下谷長者町裏・神田八軒町続地に代地を給される。旧地は「上野北大門町」と改称し、下谷長者町裏の代地を「上野南大門町」と命名。1698(元禄11)年、中堂完成で東側の御用地は空き地となり、再び町屋が造られ、「上野北大門町」と称し、町域は旧に復した。自身番屋と辻番3ヶ所があった。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、嘗ての収公地は上野広小路町と上野三橋町に編入。1872(明治5)年の戸数121・人口545(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府下谷区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市下谷区に所属。1943(昭和18)年7月1日、東京都下谷区に所属。1947(昭和22)年3月15日、東京都台東区に所属。
1964(昭和39)年10月1日、住居表示の実施により、春日通りを境界として2分され、南半部が現行の上野一丁目、北半部が現行の上野二丁目に編入となり消滅。現・上野二丁目の町域に講談定席の本牧亭があった。
撮影場所:上野北大門町
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