【本所①012】本所長崎町
町番号:本所①012
町名:本所長崎町
読み方:ほんじょながさきちょう Honjo-Nagasakichō
区分:町丁
起立:江戸期
廃止:1683(天和3)年
復活:1688(元禄元)年
廃止:1930(昭和5)年
冠称:1911(明治44)年4月30日まで「本所」
現町名:墨田区緑四丁目、亀沢四丁目
概要:1657(明暦3)年までは中橋広小路の川沿いの南側にあったが、1663(寛文3)年に霊岸島に代地が与えられ、「霊巌島長崎町」と称した。通称を「入江町」といった。しかし土地不足等のため、本所の当地に倍増の土地が与えられ代地替えとなり、「本所長崎町」といわれた。町名は元地に由来するもので、元和年間(1615~1624年)、長崎出身者が多く居住していたことに因む(備考)。1683(天和3)年、一時御用地となり、1,695両余と銀4匁9分余の屋敷代が支払われて召し上げられたが、1688(元禄元)年、旧に復した。1828(文政11)年の家数105軒(町方書上)。
大横川の長崎橋は町内北東に架かっていた。現・亀沢四丁目と錦糸一丁目を結んでいた。創架は1698(元禄11)年。橋名は東から当町へ渡る橋であったことに因む。別称を「中之橋」といった。別称は法恩寺橋と北辻橋の間にあったことによる。現在も橋東詰を南北に貫く道を「中之橋通り」と呼ぶ。長崎橋は、1988(昭和63)年頃、大横川北部が大横川親水公園として整備されることになったため落橋。撤去前に架かっていた橋は1929(昭和4)年の改架で、長さ33m・幅12mのコンクリート吊り橋だった。現在は東詰北側に橋名板が埋め込まれた親柱とトラスの一部を使ったモニュメントが設置されている。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)、近隣の武家地を合併。同年の戸数131・人口453(府志料)。
1878(明治11)年11月2日、東京府本所区に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府東京市本所区に所属。
1930(昭和5)年、帝都復興計画の一環により、緑町四丁目、亀沢町四丁目に編入となり消滅。現行の緑四丁目、亀沢四丁目。
撮影場所:本所長崎町
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