【本所①052】押上町

町番号:本所①052

町名:押上町

読み方:おしあげちょう Oshiagechō

区分:町丁

起立:1891(明治24)年3月

廃止:1931(昭和6)年

冠称:なし

現町名:墨田区業平二~四丁目、横川二・三丁目

概要:1889(明治22)年に東京府南葛飾郡から東京市本所区に編入された地域のうち、1891(明治24)年3月に押上村字居村耕地、飛地字居村、柳島村字榎戸耕地、亀戸村飛地字水神西宅地の各一部が合併して起立。町名の由来は諸説あり、北十間川の京成橋辺りまで常に潮が押し寄せて押し上げた所であるから、隅田川沿いで土や砂が堆積してできた地であるから。また、業平の押上天祖神社の曰く因縁に「洪水の時にご神体が押し上げられたので、村人がそれを祀って村の鎮守とした」とあり、どれが真実なのかは不明。ただし、押上町と北十間川の対岸北側にある向島押上町がその名となったのは、前身が押上村であったからであろう。1897(明治30)年、東京瓦斯紡績株式会社が設立された。

1930(昭和5)~1931(昭和6)年、帝都復興計画の一環により、業平橋二~四丁目、平川橋二~四丁目、横川橋二・三丁目に編入となり消滅。但し、「押上」の名は北十間川の北側で存続。

※『角川日本地名大辞典』には「昭和5~6年業平橋1~3丁目となる。現行の業平1~4丁目・横川2~3丁目のうち」とあるが間違い。


なお、そもそもの「押上」について以下に詳述する。

汎称「押上」は、隅田川の東岸、北十間川の北に位置する。『葛西志』では地名の由来は不明とされている。

「押上村」とは、江戸期~1891(明治24)年の村名。葛西郡西葛西領のうち。幕府領。北十間川を挟んで北に位置し、須崎村、亀戸村に飛地があった。『田園簿』の石高は175石余、検地は1697(元禄10)年、『元禄郷帳』の石高は154石余、『天保郷帳』の石高は192石余で、以後幕末まで変化はない。化政期(1804~1830年)の家数51軒、鎮守は神明社(新編武蔵)。村内には、日蓮宗天松山彗到院最教寺、同長養山春慶寺、浄土宗長行山般舟院大雲寺、天台宗弘誓山特性寺、同宝松山金性寺、同寿桂山栄泉寺等があった。

なお、村内には「押上橋」という橋が架かっていた。橋名は村名に因む。現行の墨田区押上一丁目と業平二丁目を結ぶ。創架年代未詳。1719(享保4)年の御入用橋書留に「押上橋 長十間、幅二間」とある。1931(昭和6)年に幅5間の木鉄混用、橋床木煉瓦舗装の橋に架け替えされたが、戦災により焼失。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1872(明治5)年、春慶寺、金性寺他4寺を当村に合併した。同年の戸数113・人口461(府志料)。

1878(明治11)年11月2日、東京府南葛飾郡に所属。1889(明治22)年5月1日、東京府本所区に所属。同年、飛地が亀戸村の大字となる。1891(明治24)年3月、向島須崎町向島請地町向島押上町柳島元町中之郷業平町向島中之郷町、押上町となる。

撮影場所:押上町

撮影地:墨田区横川三丁目12番14号(押上温泉大黒湯)

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江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:寺島村大字寺島字前沼