【南豊島】角筈五十人町

町名:角筈五十人町

読み方:つのはずごじゅうにんちょう Tsunohazu-Gojūninchō

区分:俗称→字

起立:江戸期

廃止:1932(昭和7)年9月30日

冠称:1878(明治11)年11月1日まで「角筈」

現町名:新宿区新宿三丁目18~25番

概要:追分(内藤新宿)から柏木成子町に至る成木街道(青梅街道)北側の足軽五十人組の組屋敷に因む。現行の新宿三丁目の一部で、現・新宿通りと現・靖国通りに挟まれた地域。

1878(明治11)年11月2日、東京府豊島郡のうち12町25村の区域をもって東京府南豊島郡が発足。東京府南豊島郡角筈村大字角筈字五十人町となる。1889(明治22)年5月1日、東京府豊島郡柏木村、角筈村、内藤新宿添地町の一部が合併して淀橋町成立。東京府豊島郡淀橋町大字角筈字五十人町となる。1896(明治29)年4月1日、豊多摩郡が成立し、東京府豊多摩郡淀橋町大字角筈字五十人町となる。位置は787~849番地。

1932(昭和7)年10月1日、東京府東京市淀橋区発足。字渡辺土手際、字矢場、字十人町とともに角筈一丁目に編入となり消滅。

撮影場所:角筈五十人町

撮影地:新宿区新宿三丁目23番1号(DARTS HiVe 新宿東口店)

東大久保町 角筈十人町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。