【神田②】神田六軒町
町名:神田六軒町
読み方:かんだろっけんちょう Kanda-Rokkenchō
区分:町丁
起立:1698(元禄11)年
廃止:1869(明治2)年12月
冠称:「神田」
後身:神田亀住町 土地は秋葉の原火除地
現町名:千代田区外神田一丁目18番中央東
概要:天海在世中、陸尺を務めた中間が寛永寺の開基後、屏風坂近辺に町屋を拝領し、「屏風坂下六軒町」と名付けられた。1698(元禄11)年旧暦9月6日の火災で収公され、神田・下谷・浅草の3ヶ所に代地が与えられて移転。その1つを「神田六軒町」といった。北は神田相生町、南は牛込袋町代地と神田相生町、西は神田仲町三丁目、東は柳原大門町と神田八軒町。1745(延享2)年12月、町奉行支配となる。
慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。1869(明治2)年、神田八軒町、柳原大門町、上野町代地と合併し、神田亀住町を起立し消滅。しかし、後身の神田亀住町は同年12月の火災で焼失。跡地は秋葉の原火除地となり、小笠原邸上地跡の替地(現在の外神田五丁目3・4番)に移転。
撮影場所:神田六軒町
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