【神田②】神田竹町
町名:神田竹町
読み方:かんだたけちょう Kanda-Takechō
区分:俗称→町丁
起立:江戸期
廃止:1869(明治2)年12月
冠称:「神田」
後身:神田栄町 土地は秋葉の原火除地
現町名:千代田区外神田一丁目17番北半部(俗称時代は14・15番を含む)
概要:『東都下谷繪圖』では、現代において北に総武線線路と南に現在の万世橋交差点から秋葉原駅南交差点までの間にある道に「竹丁ト云」とあり、俗称として用いられていた。切絵図では神田花房町と神田仲町一丁目の間にある。竹を商う者が多く住んでいたためか。安藤広重の『江戸名所百景』の「昌平橋辺」にはたくさんの竹が立てて置かれている図がある(『角川日本地名大辞典』にはそうあるが、まず『名所江戸百景』であり、その絵は『昌平橋聖堂神田川』という。そして立て置きされているのは材木であり、昌平橋南詰方から見た「神田材木町」と俗称された湯島横町方面の模写であると思われる)。
成立以前は牛込袋町代地と牛込肴町代地。1869(明治2)年、牛込袋町代地、牛込肴町代地が合併して正式に成立。しかし、同年12月の火災で焼失。跡地は秋葉の原火除地となり消滅。1871(明治4)年までに小笠原邸上地跡に移転、神田松永町、神田平河町一丁目代地の替地の各一部と合併し、神田栄町を起立。1874(明治7)年、秋葉の原火除地となった地は神田花岡町の起立となる。
撮影場所:神田竹町
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