【芝②】芝御掃除町

町名:芝御掃除町

読み方:しばおそうじまち Shiba-Osōjimachi

区分:俗称

起立:江戸期

廃止:1869(明治2)年

冠称:「芝」

後身:芝栄町

現町名:港区芝公園三丁目6番18、22~26号

概要:『芝口南西久保愛宕下之圖』に「御掃除丁」とある。正式名称は「芝御霊屋御掃除屋敷」。家康の関東入国に従い、のち秀忠の死後、増上寺御霊屋付御掃除役となった者に与えられた拝領屋敷。1633(寛永10)年、増上寺裏の岸町脇に3,600坪を拝領し、芝御霊屋御掃除屋敷として成立。

1696(元禄9)年、1706(宝永3)・1709(宝永6)年にそれぞれ一部が用地として召し上げられ、麻布永坂堀留、麻布田島町、渋谷笄橋に代地を与えられ、渋谷に与えられた代地は渋谷御掃除町となった。残りの元地1,579坪も1713(正徳3)年召し上げられ、金地院西方(現行の芝公園三丁目)に移転し、引き続き「芝御霊屋御掃除屋敷」と称した。

移転後、1787(天明7)年に一部が用地として召し上げられ、赤羽植木溜に代地を受けて「芝御霊屋御掃除屋敷代地」と称した。さらに1811(文化8)年中には3ヶ所に代地を給された。1は増上寺火除地となって溜池端桐畑に給された赤坂溜池端芝御霊屋御掃除屋敷代地、2は浅草猿屋町跡に給された浅草猿屋町立跡芝御霊屋御掃除屋敷代地、3は赤羽新堀端に給された新堀端芝御霊屋御掃除屋敷代地で、文政年間(1818~1831年)当時、元地1ヶ所に対し、代地は7ヶ所となった。

1828(文政11)年の家数67軒、うち地主8・家主2・地借24・店借33(町方書上)。その後、1861(文久元)年、隣接の金地院の境内800坪が増上寺に与えられたため、当町の一部が代地として与えられ、金地院拝領町屋敷となった。当町代地は幸橋御門外に与えられ、幸橋御門外芝御霊屋御掃除屋敷代地となった。

慶応4年5月12日(1868年7月1日)、江戸府に所属。慶応4年7月17日(1868年9月3日)、東京府に所属。明治維新直後、「御」の文字を削除し、「芝霊屋掃除屋敷代地」と改称。その際、俗称も「芝掃除町」となったかどうかは不明。1869(明治2)年、拝領屋敷と合併し、芝栄町を起立したことで消滅。『角川日本地名大辞典』には現行の芝公園三丁目5番12~19号、6番9~11号とあるが、『大江戸今昔めぐり』では芝公園三丁目6番18、22~26号となっている。

撮影場所:芝御掃除町

撮影地:港区芝公園三丁目6番22号(J.C.ビル)

芝岸町 神田三島町

江戸町巡り

落語や時代劇、近代文学の愛好家諸氏、 江戸の町を散歩してみませんか? 表紙:小梅五之橋町 ※コピペしてもかまいませんが、その際は逐一出典を明らかにしてください。