【芝②】上高輪町
町名:上高輪町
読み方:かみたかなわまち Kami-Takanawamachi
区分:総称
起立:江戸期
廃止:明治初年
冠称:なし
後身:芝田町、芝通新町、芝横新町、芝伊皿子町、三田松坂町、三田四丁目
現町名:港区芝五丁目、三田三~五丁目、高輪一・二丁目
概要:荏原郡麻布領のうち。「上高輪村」とも称す(新編武蔵)。『田園簿』の石高は185石余、うち畑地130石余、『元禄郷帳』では228石余、『天保郷帳』では181石余東は江戸湾に臨み、西は白金三田の地に、南は下高輪村に接す。地内を東海道が通るため早くから町場化し、1662(寛文2)年、総反別15町2反余の地が町奉行・代官両支配となる。以後、上高輪町域は、芝田町・芝通新町・芝横新町・芝伊皿子町・芝伊皿子台町・芝伊皿子七軒町・芝伊皿子明下町となり、以上を総称して「上高輪町」とした。旧跡の亀塚跡は、海上から入船の目当てとした燈火を亀塚上に設置した跡地と伝える(新編武蔵)。『新編武蔵』には「上高輪町在方分」として、井伊右京亮抱屋敷・浅草天嶽院抱屋敷・伊皿子町町人善右衛門抱地を記す。
明治初年、総称としての上高輪町は消滅、各町は次第に芝田町・芝通新町・芝横新町・芝伊皿子町・三田松坂町・三田四丁目となった。
撮影場所:上高輪町(芝横新町)
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